大判例

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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)9277号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

三次に、被告の抗弁(2)(表見代理)につき考える。

1 <証拠>によると、次の事実を認めることができる。

(一) 破産者孝男は、昭和二八年三月和子と結婚し昭和三七年東京都文京区小石川四丁目八番七号に新居を建築して移転するまでは両親と同居していた。右孝男は順天堂大学医学部講師であるが、右新居移転後は同所に岡田医院を開業し、内科、皮膚科、小児科の夜間診療をはじめ、極めて多忙な毎日を過すこととなつた。和子は右孝男との間に二児を生んだが、長男が学習院初等科に入学した頃から、慈善団体サロンド、ロアに加わり、その活動のためと称して派手に出歩き、家事および右医院の手伝をしなくなつたため、孝男は不満をもち、昭和四一年頃には和子の貞操にすら疑をもつに至つた。

(二) 和子は、孝男と気まずくなつてからも、岡田医院の保険報酬が振込まれる銀行口座を管理し、孝男の指示によつて薬代、医療機具代等の支払をなしていたが、昭和五一年九月頃前記サロンド、コアの活動を利用して宝石、骨董品等の販売を計画し、株式会社S・D・Rを設立したが、予定されていた協力者からの資金調達ができないところから、右孝男名義の手形・小切手を無断で振出しこれを割引いて資金をえようと考えるに至つた。ところで、和子は昭和三九年二月三日に既に富士銀行本郷支店に孝男名義のホームチェックの当座預金口座を開設していたが、右計画立案段階で右支店融資課長青木に事業計画を話した際に、右青木から夫婦間のこととはいえ、従前のホーム・チェックの口座を解約し、新たに和子名義の当座預金口座と、孝男名義の同口座を別に設けることによつて、岡田医院の収支と、和子の事業の収支を別にするよう勧められ、各口座を設けたが、その際、右支店から孝男名義の口座についての手形・小切手帳の交付を受けていた。

そこで、和子は右手形・小切手帳を無断で使用し、前記2で認定のとおり孝男のゴム印、実印を冒用して手形小切手を作成し、当時、右会社の取締役経理部長と名をつけて身近かにおいて相談していた佐藤清等を使つて、金融業者から右手形等の割引によつて事業資金をえていた。被告の本件貸付けもこれら一連の行為のなかでなされた。

(三) 和子の右事業は、その資金を高利に依存し、しかも、取引先の売掛金がこげつくなど、和子に事業経験もないところより間もなく行きづまり、金融業者から割引を受けた手形等の満期日の決済資金の調達に追われる始末となり、他方、孝男は、かねて和子の挙動には不信を抱いていたが、話合う機会もなく多忙な日々を過していたところ、昭和五二年三月、金融業者から突然、手形振出の事実を確認する旨の電話を受けて、はじめて事の重大な進展に驚き、弁護士に相談して、和子の手形、小切手の乱発の実体を知ろうとしたが同女はこれに応じなかつた。

(四) 被告は、和子に前記二・1・(二)記載の最初の貸付けに際し、和子から孝男は順天堂大学の講師で夜は岡田医院を経営し多忙であるため、右医院に必要な資金の調達は私にまかせられている旨を聞き、それを信用して貸付けたが、被告は金融業者であるのに右貸付に際し、孝男に対して和子に代理権等の権限を与えたものかどうかの確認手段をとつておらず、しかも、最初の二口の貸付はその弁済期である同年三月三一日と四月二八日には支払ができず、その結果、新たな貸付をなしてこれを弁済し、その後も数回このようなことが行われているのに拘らず、被告はこれらの機会にすら、孝男との連絡をとつておらず、しかも、数回の貸付けの間には株式会社S・D・Rの事務所に出向いているのであるから、和子が岡田医院の手伝いの外に事業をしていることを推知しえたのに、この段階でも、破産者孝男との右貸付けについての何んらの折衝もしなかつた。

<証拠判断略>

2  右事実によると、和子は夫である破産者孝男から岡田病院の保険請求事務とか、同院の購入した医療機具代金とか薬代金の支払事務とか、同医院への保険報酬が振込まれた銀行預金の保管管理事務等をまかせられていたが、これ自体は事実行為であつて法律行為でないから、和子に破産者孝男を代理する権限があつたということができないし、また、被告は金融業者であるのに、本件貸付が和子に初めてのものであり、しかも、紹介者も信用できないのに拘らず貸付金の使途の確認も充分していないのみか、破産者孝男の真意を確かめることもなく慢然と貸付けを続けたものであり、金融業者である被告には破産者に対し本件貸付行為をなすにつき、和子に権限があると、信ずべき正当事由はないといわざるをえない。

(山口和男)

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